「おーい誰か英語できるひといないかー?」
部長が事務所に響き渡る声で、シャウトしていた。
パソコンにデータを入力する僕はカナダの大学の夏休みで日本に一時帰国しバイトをしていた。川崎の浮島の工業エリアにある大手石油会社の下請け貯蔵庫の会社。
過去に紙で管理していたファイルを、ようやく電子化することになり、データ入力のバイトを5人ほど投入して一気に行っていた。
いままで肉体労働のバイトしかしてこなかった・・・いや、それしかできなかった僕は初めて空調の効いたオフィスで椅子に座ってする仕事というのを体験した。
カナダ留学三年目の夏休み、少しでも学費の足しにするべく日本に戻ってきた。いつもやっていた引越しのバイトは 日給8000円
「荷物に傷つけんなよバイトー」
という強面の社員の怒声がよく飛んでいた。真夏にゼーハーしながら体力だけが求められる仕事
止まらない汗
軍手をしているのに傷だらけの手
荷物に挟まれる足
じわじわとなくなる握力
得るものは8000円の日給と筋力
稼いだお金はカナダドルに換金した。日本にいる間も節約をし、バイト代のほとんどはカナダでの学費と生活費にしたかった。新築マンションの壁板と給湯器を階段で運ぶバイトでは途中で逃げ出す者もいた。
それに比べてオフィスでの仕事はなんてラクなんだと。 同じ時給なのにこんなにも違うのか。バイト初日に頭脳労働について明確に認識が変わった。もうあのツライ仕事はしたくない。誰にでもできる仕事じゃなくて、自分にしかできない仕事をするんだ!(若いので勢いがあった)
とキーボードのEnterキーを必要以上に強く叩いていた。
タターン
データ入力は頭と目は疲れるが身体の疲労は少なく、このまま夜に別のバイトができるんじゃないかと考えた。
そして夜にカフェでのバイトを追加したらどっと疲れがでて、毎日死んだように眠った。お金がないのは不便だが、不幸ではなかった。僕には選択肢があった。カナダで大学を卒業するという選択が。
バイト先にはインド、ドイツ、フランス、台湾からも各国数人づつで視察者が訪れていた。東の国の人もいたがその時はどこの国の人かは分からなかった。
3日間の研修の最終日はみんなで海ほたるに行き海を見ながらランチという予定になっていた。
僕は頭を空っぽにしてひたすらデータ入力をしていると
「おーい誰か英語できる人いないか」
という声が聞こえてきた。
ゆっくりと部長の方を振り返る僕
ここで英語少し話せますなんていうのも恥ずかしい。どのレベルの英語なのかわからない。うかつにやることじゃないぞ。
無言でその状況を静観していた。留学三年目くらいの英語力で、英語ができると言ってもいいのか?
カナダ人に教わった 自分の能力は倍にしてアピールしろ という無茶なアドバイスを思い出した。カナダ人が言う「日本語できます」はたいてい挨拶とビールください程度なのだが、本人はおくびもなく「日本語できます」と言う。
「プログラミングできます」
と履歴書に書いといて、実際には週末にプログラミング入門のクラスを3回参加しただけの強者もいた。
そのことを思い出し
「あのー、少しですができます」
思い切ってみた
「よし、その仕事をいったんやめて一緒にきてくれ」
「は、はい」
「こっちへ」
部長に促されついていく
「今から研修で来ている人たちと、海ほたるへ行くんだが、英語が話せる社員が1人しかいないため、サポートをお願いしたい」
研修できている人は11人。日常的な会話ならなんとかなるので
「わかりました。がんばります」
大きめのバスに乗り込むと、バラエティ豊かな国籍の人たちでガヤガヤしていた。英語が話せる社員さんも、ネイティブではないので、アセアセしながら日程を説明していた。
手違いでこの日の通訳を手配できなかったそう。バスに乗っても社員さんの話をほとんど聞かずに、みなガヤガヤしている。
自由だ。そうだった。日本人と違い外国の人は自由度が高いのだ。各々が社員さんの話はそっちのけで、気ままにガヤガヤしていた。そしてそのまま海ほたるへ到着。
予約していた景色が見えるレストランへ行き、テーブルで僕と社員さんでそれぞれ1グループづづ食事メニューの説明をした。
あらかじめバスの中でメニューを説明していたので問題なく注文が決定。宗教や文化の違いで食べられない食材があるので食事については先にヒアリングしていた。社会人の段取りの良さを学んだ。
食事は和気あいあいと楽しく、これが仕事で時給もらえているなんて、いいなーとずっと考えていた。
真夏に汗だくで荷物を配達する
弁当製造ラインで早朝にコロッケを揚げまくる
深夜に車の工場でほこりまみれになる
これと比べるとこの仕事はなんてたのしくてラクなのだろう。
その後、1時間は自由解散になり僕はお土産前で研修の人たちが困ったときに備えてスタンバイ。社員さんは慣れないガイドと英語で疲れ果てていた。
僕はお土産の前で海と空とはしゃぐ子どもたちをみているだけで、あっという間に帰る時間になった。
データ入力という仕事は肉体労働よりもラクなのに、通訳兼案内係はさらに楽しいという要素があって、でも時給は同じ。
外国語が話せるとこうゆうときに価値を見出せるのだな。
と実感した出来事だった。
このことが大きな転機となり、より専門的な仕事をしようとプログラミングの道へ進むきっかけになった。
僕のバイト期間が終わってからバイト仲間に教えてもらったのだが、入力したファイルは縦書きと横書きを間違えていたということが発覚し、班長さんが青い顔をしていたそう。
そのことがこのバイトのいちばんの思い出になった。